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田七人参の歴史

2億5千万年前
田七・人参・西洋参は、植物学上「古老植物」に類属し、第三紀古熱帯山岳地区に遺留された植物。生きた化石とも言え、中薬のうちでも原始的なものの代表です。
紀元1世紀頃
「人参」として中国初、本格的な医薬書「神農本草経」に「五臓を補う」と記載。(心、肝、肺、腎、脾に作用し、活動を活発化。)
1555年頃
主成分に田七人参が約85%含まれる漢方薬「片仔廣」(ヘンシコウ)が璞山岩の僧侶によって作り出され、打ち身、消炎止痛に使われる。 ※片仔廣:成分の85%が田七人参です。その他の成分は、麝香3%、牛黄5%、蛇胆7%が配合されています。この漢方製剤は、特に急性肝炎、慢性肝炎に有効とされ、“肝臓の特効薬”として高く評価され、類似品も販売されています。(1911年頃迄「八宝丹」として、1911年以降「片仔廣」として製造・販売。)
16世紀末
薬物書「本草綱目」(李時珍:リジチン=1518-1593)に「田七人参(三七)は止血、止痛作用と共に、血液循環障害を改善する。」と記載。
「三七は、血を止め、オ血を留めず、腫れを引き、痛みを鎮め、毒を消す」と田七人参の具体的な薬効が記されています。
李時珍によって編纂された[本草項目]に、その優れた薬効が記されてから注目され、田七人参の需要が高まり、自然生息している田七人参が乱獲されるなどの被害が発生したことから、明の時代(1368-1644)末期から、清の時代(1636-1912)初期にかけて、田七人参の栽培化が発展し、今日に至っています。
16世紀末以降
「本草綱目」の発表後、田七人参の需要が高まり、野生田七の採取が増え、明の時代(1368-1644)末期から、清の時代(1636-1912)初期にかけて、人工栽培が始まったと言われています。
1902年
中国雲南省の医師、曲煥章(キョクセキショウ)が、田七人参を主成分にした「雲南白薬」を開発。
1960年代
ベトナム戦争の際、北ベトナム軍に対して消炎解熱効果のある「田七人参」が送られ、成果を上げる。
1979年~
戦略物資として中国政府によって厳しく管理され、輸出禁止とされてきましたが、改革・開放政策に伴い、輸出が解禁され世界中に知られるようになる。
1980年代
日本においても生薬学学会等で、田七人参が盛んに研究されるようになる。 ※学会等において発表されました研究論文につきましては、弊社迄お申し出下さい。
1995年
株式会社アドバンスにて無農薬栽培着手
1998年
無農薬田七人参収穫
2006年
国際有機認証IFOAM取得田七人参収穫
2008年6月
有機JAS認証取得
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